棚田は1枚1枚「あぜ」で水を溜めている「たらい」のような形態で、限られた水資源を効率よく使い、雨水が急な谷を一気に落ちるのを防いだり、水の出入りを調整する防災の役割を担っています。
日本海が形成された後、地下の地層中に入り込んだマグマが冷え固まる際にできた縦方向に伸びた割れ目と横方向に伸びた割れ目が垂直に交わり、鎧の「おどし」のように見えるために、「鎧の袖」と言われています。
円山側河口の東西の海岸一帯をいいます。この海岸は海域公園に指定されています。日和山から竹野にかけての海岸線は流紋岩(球顆流紋岩)の急峻な断崖が続きます。断崖を走る漁火ラインからの眺めは絶景です。
千代川河口西側に広がる湖山砂丘は、標高15m前後の低い砂丘です。そのため、かつては畑ごとに浜井戸が掘られ、「嫁殺し」と呼ばれる水やりの重労働により、「鳥取市の台所」を担っていました。
この棚田はおよそ4段の段丘からできていますが、これらは約10~12万年前の海食台がその後の地殻変動による隆起と海面の低下によって形成されたもので、山側には波打ち際や海食崖の跡が残っています。
山陰海岸学習館は『山陰海岸ジオパーク』の魅力をさまざまな資料や映像で紹介しています。体験学習コーナーでは山陰海岸の砂や生きものを観察することができ、さまざまな学習相談にもご利用いただけます。
郷村断層は、京丹後市網野町浅茂川西方から京丹後市大宮町口大野まで、北北西-南南東方向に延びる全長18kmの地震断層です。昭和2(1927)年に発生した北丹後地震の際に出現した断層で、ここでは真っ直ぐな道が約2.6mもずれてしまいました。
観音山は流紋岩などの火成岩からなる標高245mの山です。
頂上には中世に繁栄した天台宗相応峰寺があり、観音堂には国の重要文化財の十一面観音立像が祭られていて、毎年4月18日には祭礼が行われます。
中世、山名氏の居城がおかれました。近世には仙石氏の城下として発展し、その城跡や城下町が残されています。町には沢庵和尚で知られる宗鏡寺があります。武家屋敷跡には出石出身の伊藤清永の美術館があります。
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